小田原市長から自筆で返信 北条早雲が客人として射和町に 清水さんが研究論文送る

2019年4月27日(土) 21:07

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190427早雲論文に小田原市長が返信

加藤市長の直筆返信のはがきに手応えを感じている清水さん=下村町の清水さん宅で

 戦国武将・北条早雲(〜1519年)が若いころ、現松阪市射和町にいたと主張する郷土史家の清水勝也さん(79)=下村町=が、このほど夕刊三重から自費出版した研究論文を後北条氏が栄えた神奈川県小田原市に贈呈したところ、加藤憲一・同市長から、「内容を検討し間違いなければ松阪市との交流も考えたい」という趣旨の自筆の礼状が届いた。清水さんは「さらに研究して松阪での関心を高め、両市の交流につなげたい」と意を強くしている。

 学説では、早雲の幼少期は詳細不明とされているが、清水さんは地元射和の旧家史料をはじめ伊勢の皇學館(神宮徴古館)の史料「伊勢志略」の記述などから、応仁の乱(1467年)勃発後、都を逃れ、射和の豪商だった冨山家に客人として長居していたと推論。今月、20年来の研究成果を論文にまとめ自費出版した=2日付既報。後北条氏5代の繁栄が築かれ、初代・早雲没後500年に沸く小田原市にもぜひ松阪市とのつながりを知ってもらいたいと、清水さんは論文を送付した。
 すると思いがけず、加藤市長からすぐに……続きは本紙で