飯高の古文書解読進む 太閤検地原文書 山間部の民の暮らし分かる

2016年11月1日(火) 20:00

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飯高古文書

波瀬組の取り決め事項を記した1848(嘉永元)年の文書には、八つの郷や村の庄屋の書名押印が=市郷土資料室で

 松阪市飯高地域の文禄(1592〜96)から近代にかけての時代の五つの村や郷の古文書の解読が、川井町の市郷土資料室で行われている。いずれも当時農業や山仕事に従事した村人の暮らしが記されている。うち、市内でも古い1594(文禄3)年の飯高郡乙栗子村(現・飯高町乙栗子)の太閤検地の際の原文書と思われる検地帳や、飯高地域に当たる範囲を紀州藩が「川俣谷」という一つの行政区域として捉えていたことを示す史料は既に解読を終えた。数年で全て解読し、目録と史料集を発行する予定。
 
 寺や役場の出張所、元庄屋の家に所蔵されていたもので、1993(平成5)年から3年間、当時飯高町教育委員会に出向していた飯高町七日市の元中学校長・深田常次さん(65)が調査し、仮目録にした。うち、堀内家と田中家の文書は筑波大の教授が以前調査している。
 今回解読することになった5種の文書は、個人から借用の一つを除いて飯高地域振興局の所蔵になっていたが、2015(平成27)年1月に郷土資料室に移管された。
 同室では今春から本格的に解読に取り組み始め、既に飯高町乙栗子の……続きは本紙で